この前の1日の映画の日が土曜日で、特典の第四弾が出るということで、チェンソーマンレゼ編を観てきました。

ジャンプやジャンプラスなどでは 追っかけておらず、アニメ化の時に観て、この前の総集編も観て、レぜ編については、IRIS OUT などの PVや速報動画なども うまく避けてきました。
ただ JANE DOE だけは好きなお二人の作品だけあって、事前にヘビーローテーションでループ再生しまくって聞いてみました。
IRIS OUT は、かなり初回にオープニングソングとして 流れて、作品内容と歌詞もかなりリンクしており 良かったです。
ゲロになりそう ボンって所が 好きでたまりません。
映画は、新しいレゼの登場で、デンジの欲をひっかき回して、やっぱり敵でしたという セオリー通りの展開です。
チェンソーマンの熱狂的な支持者ではないのですが、原作の藤本タツキさんのルックバックもそうなのですが、割と大筋の展開は 王道で、チェンソーマン のレゼ編もその点は共通でした。
ただ、あらすじだけでは語られない キャラクターに息をさせる 言葉選びや表情なんかは ファイアパンチの時から変わっておらず、「自分の作品は世間受けしないかもしれないと認識しつつ、そういった開き直ったスタンスが逆に一部で受けているのかも」という本人曰くの考察は すごく当たっていると思います。
もちろん チェンソーマンの今後の続きには、驚く展開があったりするらしいのですが(ネタバレを頑張って避けている)、
主軸にある あたりまえのことをあたりまえに丁寧に言葉にする 絵にするというはブレないだろうと思っています。
話をレゼ編に戻します。
JANE DOE の歌詞の、「少し夢を観てしまっただけ」「赤い足跡を辿って会いにきてよ」「どこにいるの ここにいるよ」あたりは、レゼの生い立ち、最初に殺せば良かったのに何か0%に近い確率に賭けてみる感じあたりの 2面性 がうまく表現していて、
「まるでこの世界で2人だけみたいだね」で、デンジの最後のシーンに繋がる行動原理や、砂浜のシーンの本心も合わさって (観ている)僕ら達も、そう2人だけの世界なら幸せなのかも(でも それは 到底無理で、幸せでないかもしれないという矛盾もはらんで)という ifの世界線を思い浮かべては消しを繰り返してしまう、悲ししい物語が心に沁みる具合です。
チェンソーマンのデンジは「世界の人々の恐怖に連動した強さ」に照らし合わすと、どうなんだろう、今回もコテンパンにやられる姿を見るわけですが、能力を含めた弱い・強いという単純なベクトルよりも、息を吸うため、美味しい食パンをバターとジャムをかけてたべたい、好きな人のおっぱいを揉みたいという欲に突き動かされているデンジの真っ新な生きる力のベクトルがぶった斬る爽快感が良かったです。
そこに「ゲロ吐きそう」と歌詞を当てた 米津玄師さんはとても好きです。
その米津さんのたっての願いで JANE DOE を歌った 宇多田さんも好きです。
JANE DOE 最初は 歌詞も宇多田さん または 共作と思ってしまった位、米津さんが宇多田さんとコラボしたいのが 300%納得するくらい 宇多田さんの世界観に合っています。
感想があまり理論だってなく、小並感あふれる感想ですが、チェンソーマンレゼ編の映画感想でした。




