ルックバックの実写版の映画を観てきました。
auマンディ(今は ウェンズデーも)で1100円で観れるので気軽です。
目次
人少なかった
観たのが公開されてから4日後位なんですが・・・映画館スカスカでした。
是枝監督というネームバリューもあるのに、これは・・・と思ってしまいました。
公開から3日間の興行収入は、約1.4億なので、少し少なめ。(全国約350館) 5位スタートでした。
特典
公開から1週間は タツキ先生描き下ろしA5ビジュアルカードが特典でしたが、好スタートとはいえなかったからなのか、特典第二弾が9/18から配布されました。(ビジュアルカードも余ったのでは・・・)
第二弾は、読み切り漫画のメタルパレードの21pの小冊子で、これは読みたかった・・・。
10/3からは第三弾 シャークキック 96p の冊子。ナニコレスゴクミタイ。
実写ならではの描写(先生と母と編集者)
ルックバックの原作、一昨年のアニメ版があり、実写版を製作するにあたり、作る意味を考えると少し改変がありました。
30分以上追加されていますので、原作にはないシーンや、より詳細になったシーンなどがありました。
小学校の先生 玉井と藤野の母の 朱里 あたりは実写で俳優さんが割り当てられ、セリフも原作より増えています。玉井は原作のセリフだけでなく卒業後の見守りセリフ。
母は、藤本が一旦 やーめた とスケッチブックを紐でまとめ廊下に出しますが、次に描く時まで処分しなかったのも心遣いでもありますし、2人で部屋篭りしている際の朱里 の「ねえ、音はしないけど(京本が部屋に)いるんだよね?」とかは良かったシーンです。
藤野ファミリーの姉の空手の部分も原作よりクローズアップされていて、あの討伐シーンが生きてきます。
また集英社の担当編集者も 菅田さんが演じられて実写オリジナルのセリフ「自分の手からどんどん離れていっちゃうみたいなさ」が追加されていたり、連載時のアシスタントさんとの会話もそうなんですが、いわゆるモブ的なキャラが原作より人格を持って描かれています。
実写ならではのリアル感
2人が持ち込みを行うまでと、別の道を歩むことになるまでの密度の高い部分はかなり時間がかけられています。
つけペンやGペンのガリガリとした音、トーンをカシカシと削る音、乾かすために干された原稿紙の質感を感じるカサっとした音などはアナログ原稿を描いた人には記憶と重なりリアル感があったのでは。(メーカー非推奨ではありますが、ペン先をライターで炙るなどの細かい描写あり)
田舎感も原作より強調された感があり、京本の実家も大きく変わっています。
後々の伏線になるのですが、自然豊かな四季の描写を多く織り交ぜています。白鳥は偶然撮れたシーンらしいのですが、寄り添いと旅立ちの象徴として描かれています。
鑑賞後にネットでの感想を見ましたが、集英社持ち込みの際にすれ違った男がif世界線の犯人だったりと、いくつかの仕掛けも多くありました。また読み切り漫画を描く際のヒントとなるシーン(映画館、水族館などなど)、キャラのモチーフの会話なども追加されています。
(原作だと 数ページのカットのみ)
京本の祖母の存在
実写のオリジナルキャラとして、京本の祖母が出てきます。(姿は京本の思い出のみ)
小学生時代では恐らくすでに亡くなっていて、京本のドテラの元持ち主であり、京本の絵への自信に繋がるルーツみたいなものがシーンとして追加されています。
その祖母から教えてもらった「手を擦り合わせて耳に当てると海の音が聞こえる」という演出はオリジナルなわけですが、違和感なく取り込まれ、別れた後もその仕草をしては京本との思い出を感じる藤野のシーンがよりエモーショナルな演出に繋がります。
実写ならではの成長の過程
実写の致し方ないところではありますが、途中で俳優さんが変わります。
可能な限り印象が異ならないようにしてありますが、違和感を感じられる方もいるのも確か。
個人的には(特に)京本の変化は気にならなかったです。
外に連れ出した事についての描写
実写と原作(アニメ版含む)との大きな違いで、京本を外に連れ出したことの扱いが異なります。
亡くなった京本の部屋に入った時の印象が異なり、実写版では、2人で訪れた場面の水彩画が部屋に飾られていて、藤本がルックバック(振り返る)形になります。
if世界線もこの時挿入されるわけですが、原作では描かれなかった 京本が藤野に出会わなくても、神社に行ったり、駄菓子屋のたまり場で1人かき氷を食べていたりと、どちらの世界線でも京本は美大に行っていたという点で、原作にあった「京本死んだの私のせいじゃん、部屋から出さなかったらしぬことなかったのに」というセリフが削られています。
エンディングの違い
重要な京本が問いかけ、藤野が心の中で向き合うことになる「じゃあ、藤野ちゃんはなんで描いてるの?」(何のために描いていたのか)という問いについては、
原作では「京本を部屋から出し、京本のために漫画を描く」ことで、if世界で京本が送り込む漫画のコマのルックバック(背中を見て)でドテラを見て、京本が大笑いして自分の自分達の作品を見て楽しんでいたことをルックバックし(思い出し)、2人の出会には意味があったと、葬式から戻り1人で漫画連載を続ける藤野の背中を押す京本が見えるような演出になっています。
変わって実写では、部屋に入り、ドテラを見て京本の存在を改めて感じとり、京本が描いた背景が揺れ、その背景をベースに実写独自のアニメーションが挿入されます。
このアニメパートは、恐らく2人の会話での2人の漫画がアニメ化することを話すシーンと繋がっていたと思いますし、離れても繋がっている感と京本の笑顔を見るために描いていた原作ベースの答えがより強調していたと思います。
アニメ後、大人と子供の京本に「じゃあ、藤野ちゃんはなんで描いてるの?」で (もうすでに答えが出ていて)静寂と呼吸音、環境音のシーンとなり、原作とは順番が異なりますが、
その後仕事場に戻ってのシーンは少し長い尺を取られてエンドロールです。
実写のキャッチコピー「描いたから、出会えた。」
エンディングの違いによって、原作が(京本が亡くなっても) 2人で描き続けるという点を強調していたのに対し、実写版は、それを残しつつ、創作によって出会えた人も書き加えられることで、「1人ではない(京本もそうだし、他の支える人もいるし、読者もいる)」の視点が追加されていたと感じました。
実写映画にする意味については、この点に尽きるのではないでしょうか?。
以上

